得ることより得るための過程が美しい

 

満足な豚より不満足なソクラテス

 

こんな言葉がある。

 

私は最近ふと思うことがあったのだ。人を好きになって、デートに誘って、デートを繰り返して、告白し、付き合う、そして楽しい時があり別れがやってくる。この過程で1番楽しいのは付き合うまでのところなのではないか。そう思ったのである。

 

確かに付き合ってから楽しい事は沢山ある。しかし別れから時が経ちふと立ち返るとどう考えてもワクワクしたのは告白するより前の段階なのだ。この事は他の事象に対してもあてはまるのではないかと思う。例えば私たちは飲み物を口にするが今までの人生で最も美味しかったものはと聞かれた場合、間違いなく『部活動が終わった後に自販機で買ったスプライト』であると断言できる。これは部活動で汗を流して喉の渇きが満たされない状態に置かれて過酷な練習に耐えなくという前戯があって実現される状態なのだ。単に休日の昼間にジャンプと一緒に買ったスプライトとはわけが違うのである。やはりここでも満たされない状態を経験して、最高の一杯になったのだ。

 

満たされるのは簡単。だが満たされないが最も私達を育ててくれる。そう感じるのだ。

 

快楽を満たすのは一瞬だ。その時は最高の気分だしそんな時もあっていい。だけど満たされない状態というものの素晴らしさやそれが如何に最高のものを作り上げるのかを私達は認識して生活するだけで凄く幸せになれると思う。

 

私は不満足なソクラテス状態を楽しいと思える人生にしたい。